26歳の転機、子ども3人できました。主夫を目指す。

26歳になり3人の子どもたちが僕の人生に登場!主夫を目指してみようと思う

結婚を機会に自立、強硬手段で自分の殻を破る

新居で書く、はじめてのブログです。

 

タイトルにもあるように、結婚を期に自立をしたのが、

 

僕です。

 

実家は、かなり裕福なほうで、あまり不自由のない暮らしをしてました。

 

僕のやることに反対をするものの

 

最終的に応援してくれました。

 

しかし、その反面の期待などが大きく

 

その、プレッシャーや期待の重みは、日に日に増していきました。

 

僕自身も耐えて、耐えて、常にポーカーフェイスで自分を演じました。

 

そして、毎日ギリギリの心持ちを続けていたのです。

 

何度も何度もパンクの寸前を行ったり来たり、

 

そして、溢れ出しはじめてきており

 

仕事もしたくない、人付き合いもしたくない。

 

幸せとは?欲しいもの?

 

なにを求めているのかわからなくなっていました。

 

学生時期の僕なんてホント一つの欲しいものしか考えていなかったくらい

 

単純だったものが、欲しくもない。

 

ただ、日々を成長させてみせるループする毎日。

 

その頃に食事会に誘われ出会ったのが、奥さんです。

 

一目で素敵な人だと思いました。

 

その頃の僕は、毎晩キャバクラや飲み会など

 

女性にも飽きていて

 

その時に出会った彼女は、これまでに無いほど

 

輝いて感じました。

 

ビジュアルだとか、スタイルとかでなく、

 

内側から出てる空気感が素敵でした。

 

残念ながら既婚者でしたので、

 

たまにの食事など程度でしたが諦めが効かず

 

僕は、絶対のこの人となにかしらの形で関わっていたいと感じ

 

仕事やなにかしらのアクションを起こしながら関わり続けることしました。

 

相手に子どもが居るのもわかってたし、

 

叶う望みの少ないことでも、待つことになったとしても、

 

彼女と僕に共通したことで

 

色んなものを見たい知りたいという夢があり

 

世界一周じゃなくとも

 

様々な国の見たもの知りたいものを巡る旅がしたいと話をしていました。

 

欲しいもの、やりたいことが、見つかったのです。

 

そして、僕よりも大きな行動をしたのは、彼女でした。

 

離婚したのです。

 

僕を信じて賭けてくれたのです。

 

僕は、かなり慎重派で不安なことが出てくると眠るどころか

 

動機もし始めることがあるほどです。

 

そんな、彼女に行動もあり

 

僕も実家との関係が切れようとも、一緒にならなきゃ

 

後悔すると感じたのです。

 

後悔で済んだかわかりませんが・・・

 

あと押しするかのように

 

妊娠の知らせ

 

なにもかも捨ててもいいという覚悟で

 

彼女とアパートに住み始めました。

 

子どもたちも3人と

 

なにもかもが、変化したときです。

 

しかし、実家との距離も近く

 

認めてもらうどころか、反対される始末。

 

そこで、全てを変えることも考えて

 

引っ越しを決意しました。

 

そして、この記事を書くアパートへ来ました。

 

ほんとに、なにもかも捨てるという形のように

 

仕事も0からです。

 

かなりぶっ飛んでて不安なことがたくさんですが

 

自信もなにもない、けど、やるっきゃない!

 

自分の悪いとことサヨナラしようと決めて。

 

自分で自分の道を決めて立とうと心にきめたのです。